わたしは立川談志師匠と尾瀬に行ったことがあります。わたしからお誘いました。三十数年前のことです。一行五人は三平峠を越えて長蔵小屋に泊りました。この時のことを思いだして、文章にしたいと思っているのですが、なかなか書けません。いろいろ忘れてしまい、フィクションを加えても書くことはどうも無理のようです。
今回、長蔵小屋の前に佇んでも何も思い出せなかった。そうそう一つ「すけやにい」が、わたしが師匠からお金を預かって会計した後、追いかけてきて、おまけの分をよこしてくれたことです。

今日は長いです。文はともかく写真だけでも見てください。
尾瀬にはなかなか行けない。行こうと思ったらその日に行くことを決意しないと行けないんです。特に片品村に住んでいるとすぐ行けると考えているので、なおさら行けなくる。
とうもろこしの出荷が始まる前に行こうと決めた。朝のうちはその気が充分なんだけど、夕方になると疲れてきて、その気持ちが萎えてしまう。
それでも、もう行くのは23日しかないと思い、思い切って実行した。誰かを誘うといろいろ気を使うし行程なども変えなくてはならないので、一人で決めて、一人で行ってきた。一人一緒に行きたい人がいたけれど、急のことだし実現はしなかった。
尾瀬に行くのは、3年ぶり、今回で9回か10回になると思う。尾瀬に行くなら、鳩待峠が一番近く、家から1時間半もあれば到着するだろう。しかし今回は、一番遠いコースを選んだ。桧枝岐村から入り、沼山峠から尾瀬沼まで行くコースだ。
朝4時半起床。ネットショップのご注文を確認して、返信を出して、とにかく雨がっぱと、着替えと財布を忘れないようにして5時に出発。夜中に夢にうなされて大きな声を出したらしく、家内に身体をゆすられて起こされた。友達がキツネに化かされたのを食い止めるために、目を覚まさせようと大きな声を出したようだ。家内はその後眠れなかったという。
金精峠には雨が多く降り、大きな木をなぎ倒して流れた濁流の跡が残っていた。

白根山方向は雨模様。福島はどうなるのか心配。雨が強かったら温泉を訪ねて帰ってこようと第2案も決めていた。

少し天気が良くなった。いろは坂には鹿。

写真は無いけど道路沿いの畑には動物よけの網があちこちに張ってあった。
どこの村でも農家は、動物に難儀しているのだなと思いながら運転。
会津西街道を通り、日光市、南会津町経て桧枝岐村へ。
今回の桧枝岐から尾瀬に入ったのは、一度近くて遠い村、桧枝岐村に行ってみたかったこともある。
ここでトイレ休憩反対側のスキー場には8月に行われる雪まつりの雪が貯めてあった。

御池駐車場に着く。出発してから3時間半。想像していたより狭かった。
1000円の駐車場に車を止めて、ここから沼山峠まで往復1000円のシャトルバスに乗る。

バスのドライバーさんが明るい面白い方だった。
挨拶をしてもお客さんの反応が鈍かったので大丈夫ですかと何度も云った。
これがとにかく面白かった。
ブナの原生林解説もお客さんを巻き込んで楽しませてくれた。
少しの福島なまりがいい感じだった。

いよいよ沼山峠に到着。9時20分歩き始める。
ここからは写真を見て想像してください。
昨夜の雨で小淵沢田代の分岐の木道が壊れていた。そうとう水が出たらしい。

三本唐松が見えてきた。曇りだけど太陽は出てこない。
鳥が鳴いて、爽やかな風が吹いて、ちょっと光がさして、尾瀬に来た爽快な気分が広がる。
四年前と同じ燧岳は全く見えなかった。
わたしは山好きではない。簡単に行ける尾瀬がちょっと好きなだけ。
ここでおにぎりを2個平げて帰路につく。11時少し前。
夏休みになり、子供とお年寄りが多かった。

尾瀬も水芭蕉やニッコウキスゲの鹿の食害が年々増えているらしい。今年一か所だけ群生しているニッコウキスゲは鹿の追い払いをしてなんとか守ったという噂を聞いた。
確かにキスゲを良くみると、林際は何かに食べられていた。

登るときは気づかなかったが、帰りは大木の根元にたくさんの植物が生えているのを見つけた。

雨合羽は着たけれど大した雨にも降られずに、12時少し前に沼山峠に着く。すぐに御池行きのバスが出た。
そのあと枝岐村の中心街の民宿がたくさんある集落で、そばを食う。丸屋という旅館とそばやをしているところだった。
俺にあっている、いいそばだった。若い男の子が手伝っていた。後継者かバイトか。そんなことが気になる。
そのおとお決まりの温泉。視点を変えればこれがメインともいえる。
アルザ尾瀬の里、プールと露天風呂のある施設だった。
細かな温泉の感想は後で書くことにする。

これで桧枝岐村を解ったようなつもりになる。
そして帰りは同じ道を帰る。新潟への道は昨夜の雨で県境付近ががけ崩れで、交通止めになったと云う。
途中道の駅田島に寄り休憩。帰りはナビが教えてくれた日塩もみじラインを通る。山頂の新塩原温泉で二度目の温泉。

この温泉の詳細はあとでまた書きたい。
塩原は、昔子供が小さい時に柏屋という小沢昭一さんのなじみの宿に泊ったことがある。
その時に高冷地農業地帯鶏頂地区をみたけれど、今回も百姓の血が騒いだので行ってみた。
ハウスが多く、新しい高冷地農業を確立しているような雰囲気があった。夏のホウレンソウが有名みたいだ。野良に人がいれば声をかけたかもしれない。ちょっと回り道をした。
途中ガソリンの無くなる心配もあったが、6時40分無事帰宅。
あー行ってよかった。楽しかった。時間があれば、桧枝岐村の民宿に泊まり村の人と話がしてみたい。
経費は、ガソリン代も入れて、なんだかんだで14000円ほどかかる。
もう尾瀬はこれで最後だと思っているが、渋沢温泉小屋か温泉小屋には一度温泉に入ると云う目的で行ってみたい。
この記事のタイトルは、尾瀬のガイドの先駆者若松屋の市あにいこと、千明市三郎さんと北爪幸作さんという人が作った尾瀬の歌の詞です。
注 良く調べてみたら、市あにいの作った詞は「尾瀬にうたう」という曲かもしれない。だとするとこれは樺沢友佳と云う人が作ったことになる。
友達のいっちゃんにでも聞いてみるか。CDも持っているかもしれない。
最後まで読んで頂いて、ありがとうございました。
一人でも尾瀬に行きたくなった人がいれば目的達成です。
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